私はどちらかと言えば、一歩身を引くほうが落ち着く性分だ。
貴族にも王家にも関心が持てない性格は、肩書を重視する伯爵家で育った事が一因だろう。この『カラム・ボルドー』の由緒ある名を生かすよりも、大切な誰かを守れる、そんな騎士の道を選んだ。
騎士としての道は厳しくもやりがいのあるものだ。隊長格にもなれたが、特別突出した活躍をしているわけではない。最年少騎士の功績も、すぐに後輩に抜かれていった。それでも構わなかった。
自分よりも優秀な者はたくさん居る。私は私に出来ることをすればいい。
だから、第一王女のことも。
彼女が大切な人に向かい合う時、その背中をそっと押せるような、そんな役割で十分だ。
「あら、曇ってきましたね」
緑が広がる平野を、雲の影が覆っていく。護衛の私とアランを連れた、第一王女の散策。建前は国内の視察だが、どちらかと言えば彼女の気分転換が目的だった。奪還戦と呼ばれた騒動が一段落して、ようやく落ち着いた時間が取れたのだ。
「プライド様、どこかで雨宿りしましょう」
「カラム、あの木の下とかどうだ?」
今から馬車を待たせている場所まで戻るには、少し遠い。「そこまで気にしなくても」と止めようとする王女を制して、私達はアランが指さした一際大きな木の下に身を寄せた。三人ぐらいなら雨除けが出来そうな大木だ。木の幹を背にして、王女の左側に私が、その反対にアランが立った。
「お二人とも、別に大丈夫ですよ、雨に濡れるぐらい」
「雨一粒すら、貴方に触れさせたくありませんので」
「そうそう! 俺達は壁みたいなものだと思ってください!」
「壁ではなく、貴方達は私の大事な騎士です」
唐突に発せられた、彼女の真っ直ぐな発言に、顔が思わず熱くなる。きっとアランも同じ顔をしているだろう。
私は王族に興味は無い。王家も親も、見栄を張らねばならぬ職業だと分かっていても、理解は難しい。それは今でも変わらない。
けれども、彼女は別だ。彼女は、騎士としての本懐を遂げるに十分に値する。
か細い糸のような霧雨が、雨音も無く降り始めた。
静かに変化していく景色を見ながら、彼女はぽつりとこぼした。
「雨も、悪いものではありませんよ。雨に濡れた景色はいつもと違う一面を見せますし、草木の香りも際立つ。こうして、お二人とたくさんお話もできますから」
有意義な時間だ、と言わんばかりに、彼女は微笑む。駄目だ。これ以上私の心を揺らさないでほしい。「光栄です」と一言述べるだけで精一杯だった。
淡い雲に覆われた世界は薄明るく、一面に広がる緑を照らしている。ところどころに咲く花も、雨に濡れてより鮮やかさを増している。
そんな世界を見つめる彼女の瞳は、とても美しい。彼女が存在する世界は、どこを切り取っても一枚の絵画のように私には見える。
そうして穏やかな時間を楽しんでいた最中、アランがふいに声をかける。
「なあ、プライド様。一つ、聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「何でしょう?」
「プライド様は、婚約者に誰を選ぶつもりなんです?」
心臓が飛び跳ねた。思わず変な声を上げそうになったのを、必死で押しとどめた。王女も、顔を真っ赤にさせている。
「アラン! お前っ、いきなり何を言っている!?」
「いやー、だって気になるじゃないですか。せめてもう決まっているかどうかだけ、教えてくれません?」
アランはなんてことないように気楽に尋ねては、ちらりと私に目配せしてくる。
頼むから、変な気を遣うな!
私の、彼女との婚約者候補としての立場は、あまり表に出さないようにしている。
どんな立場であったとしても、彼女を護るべきという騎士の本分を忘れるわけにはいかない。だから職務中は、あまり意識しないようにしている。
それを、このお気楽な同期が、軽々しく跳び越えてきた。
「えっと、それは、そのっ」
「あっ、俺が居たら言いにくいですよね! 俺、ちょっと反対側の見張りするんで!」
そう言って、アランは大木の裏側へと回ろうとする。
お膳立てしたつもりなのか!?
「じゃ、カラム。お前はもっと正直になれよ!」
「余計なお世話だ!」
王女の前、ということも忘れて思わず怒鳴ってしまった。笑顔のまま消えていったアランの顔が忘れられない。後でしっかり説教しなくては。
とにかく、自分のことは後回しにして、彼女の様子が気になる。変に気負わなければいいのだが。
「プライド様、答える必要はありませんよ」
大木と言っても、普通に喋っていれば裏まで聞こえるだろう。思わず小声で伝えたが、彼女は目を逸らしたまま、ぽつりとこぼす。
「答えても、良いでしょうか」
思わず、呼吸の仕方を忘れそうになった。
聞いていいのか。
聞かない方がいいのか。
いや、もしも彼女に心に決まった人が出来たというのならば。早々に聞いたほうがいい。
その方が、心を決められる。
「どうぞ」と出来るだけ落ち着いた声を吐き出せば、彼女もまたゆっくりと、赤いままの顔で答えを出す。
「私は、『みんな』と楽しく過ごせるこの時間が、好きなんです」
すっと、心に影が差す。
「まだ、誰かを選ぶとか、そんなことは考えられなくて」
困ったように眉を下げる彼女の言葉に、嘘は無いのだろう。
けれども、何故だろう。
私では無いと、言われた気がした。
彼女が言う、『みんな』の中に、当然自分も入っている。
光栄なことだ。それなのに、どうしてこんなに胸が苦しいのだ。
「私は王女として、民に尽くすつもりです。それは生涯変わりません。いっそ国と結婚するぐらい、『みんな』のことを大事にしたいのです」
ああ、そうか。
王女として、正しい答えを出した彼女に、ようやく私は納得がいった。
私は、『あなた』という言葉が欲しかったのだ。
誰も彼もを、あたたかく見つめる『みんな』の中の一人じゃない。
彼女が見つめる『あなた』、そのたった一人になりたかった。
私を、見てほしかった。
ただの一介の騎士でしかない私には、文武相応だと分かっている。
それでも、国に尽くす彼女を支える、愛する一人になりたい。
それが私の、本音だ。
『もっと正直になれよ!』
先ほどのアランの声が、脳内で響く。
私は、今。三人いる婚約者候補の中で、彼女に想いを伝えることが出来る、一番先頭にいる。
一歩、引いているのが、自分にふさわしい立場なのに。
私よりも、もっと優秀なものは大勢いるのに。
なのに。
言ってしまいたい。
この私の想いを、ぶつけたい。
「プライド様、聞いていただきたいことがあります」
名前を呼んだ。彼女の視線が、私を捉える。
息を、深く吸い込む。熱は、収まらない。
ーー私は、貴方への想いならば、誰よりも負けない自信がある。
ーー誰よりも先に、貴方の危機に馳せ参じると宣言できる。
ーー貴方との一生を、その後ろ姿ではなく、隣で添い遂げられるならば。
ーー私の全てで、愛する覚悟がある!
胸の内に秘める、熱い想いを叫べるのならば。
きっと私は、そのすべてをぶちまけてしまうだろう。
けれども。
彼女の紫の目が、じっと私を見つめていた。
私の愛する紫に、私の姿が映っている。
「もしも、選びたいと思った相手が出来た時には。『選ばない』ことを、躊躇しないでください」
私は、私の想いをぶつけて。
彼女が困る姿を見るよりも。
彼女の想いを、いちばんに大事にしたい。
「一人を選ぶことは、誰かを選ばないことです。たとえ私が、選ばれなくとも。私の尽くしたい想いは、変わりません」
一歩引いた、彼女の背を見つめる人生でも。
それは、私にしか見えない、美しい景色だ。
「私は一生、『あなた』の騎士です」
この選択が私の、正直な答えだ。
目を見開いた彼女が、ふっと、顔を綻ばせる。
「ありがとう、こんな私を、大切にしてくれて」
私は、この笑顔が見れるのならば、十分だ。
この霧雨のように、柔らかく、静かに、やさしく、私の想いが降り積もればいい。
そうして彼女に積み重なった私の想いが。
報われなくても、構わない。
彼女がいちばんだと思う幸せを選んでくれることが、私の幸せだ。