千年先の、ゆびきりげんまん

 俺は、この男が嫌いだ。
その理由を述べるのは単純だ。『過去に、俺の大事な姉君を貶めたから』。その事実だけで、あの男は国の表舞台から退場するに値する。あの男の宰相という立場を徹底的に潰せるなら、俺はありとあらゆる手段を使うことを厭わない。あの男の本性を知ってから数年間、対策を考えない日は無かった。
けれどもそれは、既に『過去』の話なのだ。

「とーさま、とーさま! みてみて! またとりさんがきたよ!」
「ステラ、そんなに大声を出すと鳥が逃げてしまいますよ」

城の庭園。穏やかな昼の日差しに包まれて、どこにでもいる親子が目の前ではしゃいでいる。あの男は、自分の娘の頭を一撫でした後、俺の方に視線を向けた。

「すみません、ステイル様。お騒がせしまして」
「構わん。今日はお前のための時間だろう。ちゃんとステラのために遊んでやれ」
「ステイル様も、私たちに付き合ってくださってありがとうございます」
「お前が何か企まないだろうかと、心配でならないからな」

眼鏡のフチに指先を添えて、位置を直す。『お前をいつでも見ているぞ』と言外に伝えた。男の苦笑が向けられるが、どこか嬉しそうなのが気に食わない。

「ねえ、とーさまのこと、きらいなの?」

ふいに、ステラが声をかけてきた。いつのまに足元にいたのだろう。嫌いだ、と反射的に答えようとして、言葉に詰まる。幼い子どもに向ける言葉じゃない。

「ジルベールは、宰相として、とても優秀だ」
「ゆーしゅー?」
「頭が良くて、すごい人、ということだ」
「そうだよー! とーさまは、とってもすごいんだから!」

満面の笑みで飛び上がる女の子に、何とか笑顔を作ることに成功する。何故こいつを褒めないといけないんだ。

「お褒め頂きありがとうございます、ステイル様」
「うるさい。世辞も分からなくなったか?」
「私も、ステイル様は優秀な摂政になれると信じております」
「お前と同じ評価だなんて、真っ平ごめんだ」

ステラに聞こえないように、男に向かって悪態をつく。
昔から『ジルベールに似ている』という感想を述べられるたびに、苦虫を噛み潰したような顔を抑えてきた。
溜息を一つ、深くつく。
分かっている。
分かっては、いるんだ。
もう、それほど警戒する必要もない。
嫌っている態度など、意味のないことだ。
俺がこの男を嫌うことを、男も当然の罰として受け入れきっている。
そこがまた、気に食わない。

男には、病に倒れた大事な婚約者がいた。その婚約者を救うために、非道な手段に手を染めた。姉君の采配で婚約者の命が救われて以降、男は宰相として、己の一生を姉君と国に尽くすことを誓った。

「やだっ、どうしてかえらないといけないの?」
「ステラ。我儘を言ってはいけませんよ」
「えーっ、ステラはもっとあそびたいの!」

今にも泣きだしそうなステラを前に、男はもう遊ぶ時間は終わったと、理由を伝えて宥めている。
いいぞ、もっと困れ、という言葉が思い浮かんで、静かに溜息をつく。そんな自分に、嫌気が差す。

「ステラ。終わる、というのは悪いことばかりではありません」
「なんで? ずっとあそんでいられたら、とーさまもうれしいでしょ?」

そうですね、と男は同意しながらも。膝をついて、ステラに視線を合わせてまっすぐに問いかける。

「では、もしも終わりが無いとしたら、どうなると思います?」
「ステラはたのしいよ! みんなもたのしい!」
「それだと、辛いことも終わりません」

ステラが目を丸くする。そんなのやだ、と幼い目が訴えている。

「人生は大事な人に出会える幸福も、その大事な人を失う悲しみも。必ず訪れます。どんな出来事にも終わりがある。かつて私が、暗い道を歩き続けていた時にも、光が射したように」

男が大事なことを伝えようとしていると、ステラも分かっているのだろう。けれども、困ったような表情を見せる。

「ステラ、よくわかんない」
「では、帰ったら一緒に絵本を読みましょう。この庭を走る楽しい時間は終わりますが、次の楽しみがやってきますよ」
「わかった! じゃあやくそく! ゆびきりげんまんして!」

親子は指を絡めて、お決まりの歌を交わす。どこまでも眩しい光景だった。

「お前にしては良いことを言っていたな」
「自分の得た経験を伝えただけですよ」

遊びまわって服が汚れていたステラは、侍女が着替えのために部屋に連れて行った。
近くで、鳥の鳴き声がする。視線を向ければ、木の上に二匹の鳥が並んで透き通った声を上げている。あれも、親子だろうか。

「ステイル様も、いつか結婚して子を授かったら。同じ話をしてあげてください」
「わざわざお前の話をしろと?」
「ええ。もしかすると、真っ赤な髪のお子さんかもしれませんし」
「なっ、お前っ!? 何を言ってる!?」

考えるな。動揺するな。そう思っても、顔が真っ赤になっているのを自覚する。王族の、姉弟での結婚は珍しくない。その事実を思い出して、とっさに男から顔を逸らした。ちくしょう。

「からかうのもいい加減にしろ! 適当なことを言うな!」
「ご存じでしょう? 過去に、義兄弟姉妹で結婚をした王族の名を、優秀な摂政候補ならば諳んじれますよね?」
「そういう話じゃない!」

数百年の歴史を持つこの国で、実際に結婚した王族の名など当然記憶している。男も当然覚えているだろう。だからといって、答えるのも癪だ。無言を貫くことにした。

「ありえる未来ですよ。私は、ステイル様の老後も。ステイル様の子供も。ずっと見守っていきます」

落ち着いた声色は、どこまでも真剣なもので。冗談でなく、本当に俺の生死の全てを見届けるだろう。
不老の力を持った男は、永遠を生きるのだから。

「俺が居なくなっても、お前はこの国に、永遠に尽くすのか」
「ええ、当然です。この私の命ある限り」

その淀みない宣言に、すっと、心の奥底が冷えていくのを感じた。
俺が居なくなって。姉君が居なくなって。男の妻も。子供も。孫すらも。すべての大事な者が、男の前から居なくなる。名前と思い出だけが、記憶力のよい男に累々と蓄積されていく。
男よりも先に死ぬ俺は、その心情を理解することなど出来ない。どれだけ、俺が男に似ていると言われたとしても。

「いつまで、お前は生きるんだ」
「さあ、どうでしょう。私は不老であって、不死では無いので。いつか『終わり』は来ますよ」

その終わりの見えない道を。また男は歩き続けるのか。
男の気持ちを全ては理解できない。けれども、大事な人を失いかける辛さは、心の奥底にまで染みついている。
姉君が変貌した時、いつまでこの苦境が続くのかと。今にも狂いそうなあの絶望感は、二度と思い出したくない。
だから、俺は。

「千年」
「え?」
「千年、この国を存続させろ。あと、たった数百年の話だ」

近隣諸国の歴史の全てを知っているわけではないが、千年続いた国は恐らく存在しない。作り物の物語では、王国は千年栄えた、で結末を迎えることもよくある。
この国が正式に始まった年、は資料が少ないのもあって曖昧だ。だから、あと数百年、としか言えない。
別に、千年という数字が重要なわけじゃない。
終わりという区切りを、示したかった。

「ステイル様は、とんでもないことを仰いますね」
「まさか、出来ないのか?」
「いいえ。是非とも、やらせていただきますよ」

その千年先の、終わりの日に。
男が見事にこの国を繁栄させて、満足げな顔をしていようと。
しくじって国が滅んでしまい、絶望していたとしても。
それより前に、この男がくたばっていようとも。
どんな結末でもいい。目指すべき場所が見えていることは、心のどこかを楽にするはずだ。

「約束しましょう。このジルベール・バトラーの名にかけて」
「ふん、俺は期待なんかしていない」
「おや、信じられませんか? では、貴方ともゆびきりげんまんしましょうか?」
「俺まで子ども扱いするな!」

小指を差し出して見せる男は、可笑しそうにくすくす笑っている。本当に、嫌味な奴だ。

「いいですね。千年ですか。その時が来たら、私は『終わり』を決めてくれたステイル様のことを思い出しますね」

その時が楽しみです、と。男は今までに見たことが無い、柔らかな表情を見せていた。
その表情に、絆されたわけじゃない。
胸の内に、複雑で、けれどもあたたかい気持ちが沸き上がったからじゃない。
心の中で言い訳しながら、俺は。

「さっさと、終わらせろ」

顔をそむけながら、男に、ジルベールに向かって。己の小指を差し出した。

想いは変化するものだ。
一生許せない、と思った男を。
嫌うだけでいいのだと、思ったように。

いつの日か、『ジルベールを嫌わねばならない』と考え続けるこの想いも。
薄っぺらい意地と共に、俺から剥がれ落ちる日が来るのなら。
その日が来てほしいと、思わなくもないんだ。