「アーサーは、雷が怖い?」
淡々と問いかけたのは、窓の外を眺めるプライド様の横顔。
夜の部屋を、眠りを邪魔しない程度の薄明かりがぼんやりと照らす。
雨粒が打ち付ける窓の外で、一瞬の閃光が走る。そして数秒後の、轟音。
けたたましい音に彼女は眉をひそめる程度で、雷を怖がっているようには見えない。
でも、紫の瞳の奥に、わずかな怯えの色を見てしまった。狂い果てた己の過去を悔やんでいるのか。この先の未来に起こる影が見えてしまうのか。
俺はどうすれば、彼女を護れるんだ。
荒れた天気こそ、騎士団の警戒は強まる。
身を隠しやすい夜の闇。足音を消す豪雨。更に分厚い雲には稲妻まで走る始末。
賊が侵入するには最高の環境だろうが、この国が誇る騎士団が油断を見せることは無い。奪還戦の 後もあって最高レベルの厳戒体制がしかれたままだ。
当然、近衛騎士の俺も護るべき人の傍に向かっていた。第一王女がいる部屋の扉をノックしようとして、寸前で思いとどまる。もう日付が変わる時刻だ。寝ているならば、邪魔をしたくない。
「アーサー?」
けれども予想に反して、扉の向こう側から声がかけられた。扉の向こうで、彼女の気配がする。
「はい、アーサーです。お休み前ですので、警護の挨拶はまた翌日に」
「ねえ、良かったらちょっと話をしない?」
何かあったのだろうか。落ち着いた声色からは特に切羽詰まったものは感じない。断る理由もなく、扉の取っ手を掴んだ。
失礼します、と声をかけて辺りを見回せば、応接間の窓際のソファに彼女は居た。プライド様。俺が生涯をかけてでも護ると、心に決めた人。
就寝前なのだろう。上品な赤色の寝衣が、彼女の魅力を一段と引き出していて思わず心臓がドキリと跳ねた。
けれども、その目はぼんやりとどこか遠くを見ている。俺は向かい側のソファに座って、彼女の様子を観察する。
「どうしました?」
「ん、ちょっと眠れなくて」
「なら、誰か人を呼びましょうか?」
落ち着けるお茶を用意してくれるメイドでも、睡眠に関する特殊能力を持った騎士でもいい。だが彼女は緩く首を振った。空ではまだ雷雨が暴れまわっている。こんなにうるさいと、彼女もゆっくり眠れないだろう。天気を操れる力があれば、真っ先にこの天気を変えるのにと、思わず本気で考えてしまう。
「アーサーは、雷が怖い?」
ふいに、問いかけられて我に返る。雷と言えば、滅多にないことだが運悪く打たれると命を落としてしまうと聞いたことがある。だが特別に怖いと思ったことはない。騎士である以上、恐怖に打ち勝つ精神力だって鍛えてきた。
「雷は、別に怖くないですね。子供の頃は、家の畑が荒れるのでいつもハラハラしていましたけど」
騎士になる前は、畑仕事を手伝っていた。
嵐は突然やってくる。激しい雨で土が流れてしまって、苗が駄目になってしまったことも度々あった。翌朝は泥まみれになりながら、何時間もかけて荒れた畑を元に戻した。
そして畑の外に出てみれば。街中の濡れた石畳は既に乾ききって、笑って走り回る子供らが傍らを通り過ぎる。雨の気配はもうどこにも無い。
なんで、俺だけこんな苦労しているんだって。理不尽を感じずにはいられなかった。
「でも、そんな街中も子供らも、畑仕事する人も。皆を護れる騎士の仕事は、誇りある職務だと思ってます」
そんな騎士の父親を、ずっと尊敬していた。だから、泥だらけの姿を心配した母親にも、嵐なんてへっちゃらだと、笑ってみせた。
「なんだか、俺の話ばかりしてしまいましたね」
「いいのよ。アーサーのことが知れて嬉しいわ」
くすくす笑う彼女に、俺も思わず笑ってしまう。優しく笑う彼女の表情にほっと安堵する。
この穏やかな時間をもっと味わいたいが、眠れない彼女のことも心配だ。
眠るべきだと告げても、彼女の視線は、雨に捕らわれたままだ。
「プライド様は、雷が怖いのですか?」
「いいえ、怖くはないわ」
強がりではない。俺は人の隠そうとするものがどうしても見えてしまう。
だから彼女は、嘘をついていない。
嘘はついていないけど、本当のことも告げていない。
「俺に、教えてくれませんか?」
何を、とは言わなかった。
でも、教えてくれないと、俺は護れない。
また彼女を失ってしまうようなことがあったらと思うと。心臓が握りつぶされるような気持ちになる。
雷鳴が、俺達の間を埋める。数秒の間を置いて、彼女は口を開いた。
「あの時の、私だったら」
雨音にかき消されるような、ぽつりとつぶやかれた彼女の言葉。
「こんな雷雨の中で、両手を広げて。笑い声をあげていたでしょう。悪逆非道を尽くした私の、最後を彩る世界にふさわしい。そう、思ったでしょうね」
ああ、やっぱり。
彼女はまだ、過去の自分を怖がっている。
たくさんの言葉を尽くしても。まだ時間が必要なんだろう。
ここはもう、雨に濡れることのない安全な場所なのに。
俺はソファから立ち上がり、彼女の目の前で片膝をついた。彼女の右手を、両手で握りしめる。伝わるようにと、届くようにと、願いを必死に込めて。
「俺は、ここにいます。いつだって、貴方の傍にいます」
彼女に不安が襲うのなら、俺は何度だってこの想いを告げる。
もう二度と、あんな辛い目に遭わせたくない。
雷雨がまた迫りくるなら、俺が必ず前に立ちふさがる。
今回の奪還戦で、痛感した。
護り抜くと決めたのは。彼女の身体に傷一つつけないことだけじゃない。
彼女の心も、護り抜かないといけない。
「ありがとう、アーサー」
気づけば、彼女がこちらを見ていた。
「ねえ、もしも貴方が雷雨に困っているなら」
彼女は空いた左手で、俺の重ねた手の上をそっと撫でる。
「私も、貴方の畑を守りに行くわね」
驚いて、思わず目を見開いた。
そうだった。
彼女はきっと、自分からこの雷雨の夜に飛び出していく。
自分の身なんて、顧みずに。いつだって、誰かのために突き進む人だった。
俺の親父の危機に、真っ先に飛び出して救い出したように。
「大丈夫。もう自分を蔑ろにはしないわよ」
「でも、行くことは行くんでしょう?」
「ええ」
当然のように、彼女は頷いて。
「だから、貴方も一緒に来てくれる?」
当然のように、俺も頷いた。
「お望みのままに」
どんな困難が襲い掛かったとしても。貴方の隣で、共に挑もう。貴方を必ず、護り抜く。
まずは、今。この雷雨が彼女の不安を呼び起こしているなら。
「すみません、今からやること、嫌だったら仰ってください」
「えっ?」
立ち上がって、両手を伸ばした。手のひらで、彼女の耳をふわりと包み込む。
彼女の目が見開かれる。驚かせてしまっただろうか。申し訳ない。こうして見下ろすと、第一王女の肩書を持っただけの、ただの少女に見える。
「安心してください。どんな時でも、貴方から離れることは、絶っ対にありませんから」
口にしてから、気づいた。彼女の耳をふさいでいたら、聞こえないではないか。あっ、と小さく声を上げて、思わず間抜けな顔をさらしてしまう。
でも、彼女は笑った。俺の手のひらにすがるように、頭をゆっくりと傾けて。
「貴方の手、あたたかいのね。ほんとうに、安心できるわ」
ようやく彼女は目を閉じた。
どうかこのまま、ゆっくりと休んで下さい。
おやすみなさい。良い夢を。
「どうすりゃいいんだ」
思わずぼやいた声は、誰にも届かない。
プライド様が、眠ってしまった。穏やかな寝顔と、落ち着いた寝息に安堵もした。
でも、俺が彼女を寝台に連れていくしかないのか!?
こんな無防備な彼女を抱えて!?
駄目だ、そんなことになったら心臓が破裂する!
そうしてしばらくの間、一人で悶絶する羽目になった。