8話 引退

無事に薬は完成した。
 マテオの家で、薬効の実証も終わった。
 これで任務完了だと、胸を撫でおろした。
 その矢先だ。

「では、私は引退するとしよう」
「えっ!?」

 人生で一番の大声を出した気がする。
 寝耳に水、とはまさにこのことだ。

「ははっ、初めてキミの驚く顔が見れたよ」
「え、ちょ、待っ! どういうこと!?」

 当の本人は、今までの意趣返し、とばかりに得意そうな顔だ。

「簡単な話だろう? もうこの村にはキミがいる。新しい技術を身につけた、素晴らしい薬師が」
「駄目よ、困るわ。アタシが居なくなったらどうするの?」
「キミはそこまで無責任ではないだろう」

 いや、アタシは無責任な方だと思う。アタシはアタシのことしか考えていないし。
 それとも今から無責任な奴になってしまおうかしら? ああ、駄目だ。思考がまとまらない。混乱する。

「キミは以前、『自分の手に負えない時は、他者を頼るべき』と言った。だから今回、こうして、頼らせてもらった」

 言葉に詰まる。
 だからと言って、アタシにすべてを任せるというのか。
 彼に頼られるのは、嬉しい。
 けれども、嫌だ。

「呪術医はもう不要だ。私は、どこか別のところに移るよ」

 冗談では、無さそうだ。
 このやさしい人が、居なくなる。
 どこか遠くに?
 もう、一生、会えなくなる?

「やだ」

 気づけば、ぽろぽろと涙がこぼれていた。
 嫌だな。泣きたくないのに。

「な、泣くな」
「無理」
「頼む、泣かないでくれ。キミに泣かれると、私も困ってしまう」

 彼は困惑しながら、懐からハンカチを取り出してアタシの頬にそっと触れた。
 涙が吸い込まれていくけど、それでも感情があふれ出すのが止まらない。
 どうすれば、この気持ちを抑えられるんだろう。

「マテオさんが居なければ、アタシはずっと自分の怪我を放置しますよ」

「やめなさい。あんなアロエを使った治療ではなく、薬を使いなさい」

「アロエって『医者いらず』って言われていますよね」

 涙声で、何とか思いつくままの言葉を吐き出してみる。

「ならアロエさえ増やしていれば、本当に医者は要らない? そんなわけ、ない」

 アロエは、切り傷はいいけど、火傷には使ってはいけない。
 傷口に当てる時も、土がつかないように使わなければならない。
 『医者いらず』のアロエを使うのに、医者は必要なのだ。

「アタシは、原野でいつも一人よ。それは慣れてる。でも、もしも自分の身に何かが起きても、助けてくれる人が居る。それだけで、すごく安心できた」

 泣きすぎて、思わず俯いてしまう。

「アタシにとって、医者のマテオさんは、怪我を治療できるだけじゃない。心の支えになってくれる存在なんですよ」

 だから、居なくなるなんて言わないで。

 嗚咽が止まらない。ハンカチはもうぐしゃぐしゃだ。

「悪かったよ、薬師」

 アタシの肩に、彼の手が置かれた。

「薬師、いや、ティー。頼む、もう泣き止んでくれ」

 アタシの名前。
 今、初めて呼ばれた気がする。

「引退は撤回するよ」

 その言葉が理解できるまで、しばらく固まってしまった。
 ふと彼の顔を見れば、どことなく頬が赤い。
 思わず、吹き出してしまった。

「あはは。驚きすぎて、涙、引っ込んじゃった」

 これからも一緒にいられる。
 その事実だけで、なんとか生きていけそうだ。

「ねえ、アタシの名前、もう一回言ってよ」
「また今度な」
「え、ひどい。アタシ、また泣いちゃうぞ」
「やめてくれ。これでは永遠に終わらないだろう」

 そして、ほとんど同時に、お互いに笑いあった。

 永遠に終わらなくていいよ。
 ずっと一緒に居ようよ。
 きっと、こうやって笑いあっていられるからさ。