これは、悪夢だ。
今までに何度も見た光景だ。
悪夢だと分かっているのに、アタシは目覚めることも出来ない。
炎が舞う。
村中が、赤色に染まる。
空すらも、焼き焦がす。
どす黒い赤が、全てを壊していく。
アタシにやさしくしてくれたものを、すべて。
背後から、声が聞こえる。
恐ろしい赤が、何かを叫んでいる。
怒気をはらんだ声で呼ばれる、誰かの名前。
アタシの、昔の名前だ。
逃げた。
力の限り、逃げ続けた。
赤が、アタシを追い続ける。
災いが、アタシの首を掴んだ。
アタシのせいだ。
アタシさえ、居なければ。
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「っ!」
ベッドから飛び起きた。
荒い息をつく。何とか深呼吸しようとしても、肺に上手く入っていかない。
落ち着け。いつもの悪夢だ。アタシは、平気だ。
何度も自分に言い聞かせる。
膝を抱えるように、布団に潜り込む。
窓の外はまだ、暗闇しかない。
それでも、あの時の焦げた匂いが、自分にこびりついているような気がしてならなかった。
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目を開ければ、すっかり日は高く昇っていた。
患者を告げるブザーが鳴らなかったので、しばらくベッドに寝転がっていた。
寝不足な時は、まず休んだ方がいい。無理をして動く方が効率が悪いからだ。
「薬師、居ないのか」
おや、マテオさんの声だ。
家の作業場に居る様だ。急患が来てもいいように、家の鍵は開けたままにしている。
アタシはベッドから起き、髪や服だけ軽く整えて、作業場に顔を出した。
「あれー、珍しいですね。こんな朝早くからどうしたんですか?」
「キミの友人に、書類を渡すように、と押し付けられたんだ」
そう言って、彼は嫌そうに持っていた紙束をアタシに手渡した。医療協会の書類のようだ。
例え意に添わなくても、律儀に持ってきてくれるのが、なんだか彼らしい。思わずくすくす笑ってしまった。
「久々にこの場所に来たが、前に来た時とは違うな」
「あれ、マテオさん、うちに来た事ありましたっけ?」
「前の薬師が居た時にな。あの時は、雑多な化学物質の匂いがしたが」
彼は辺りを見回した後、一歩、アタシに近づく。
「ここも、キミからも、ムーンベリーの匂いしかしないな」
きっと、少しでも村以外の素材を使っていれば、何か文句を言うつもりだったのだろう。
ただ、彼の思惑とは裏腹に。
今、アタシにその言葉は、一番効いた。
夢の中ではない。アタシが居るのは、現実の、この場所なのだ。
「どうした? 寝不足なのか?」
アタシの顔を見て、彼は訝し気に目を細める。目の下に隈が出ていたのだろう。
「あはは。考え事してたら、寝付けなくなって」
「医者ともあろうものが、自分の健康管理も出来なくてどうする」
小言を言いながら、彼は持っていた鞄から何かをアタシに差し出した。
紫の小さな花をつけた、ラベンダーの束だ。香りからして、採ってきたばかりのものだろう。
「研究用に採取したが、キミに譲ろう。香油にでもすれば、リラックス効果や快眠が期待できる」
薬師として、ラベンダーの効能はよく知っている。自分の薬にも多用しているのだ。
「別に、大丈夫よ。ラベンダーなら、アタシも集めれるし」
「私の分を使ってくれた方が、キミは他のことに時間を使えるだろ? キミの好きな『効率的』な手段だよ」
思わず、言葉が詰まった。
頭の中には、いくつも言いたいことが浮かぶのだ。
『アタシのことをよく分かってますねー』とか。
『マテオさんも、アタシの色に染まってきましたねー』とか。
そのどれもが、アタシの口からは出てこない。
心臓だけが、なぜかバクバクと鼓動が速い。
「あ、あっ、ありがと、う」
花を受け取りながら、つっかえるように出た言葉は、何とも情けないものだった。
「なっ、何故顔を赤くする!」
「何故って言われても! 貴方も赤いじゃない!」
反射的に思わず言葉を返してしまう。
もう限界だ。アタシは花を抱えたまま、自室に飛び込んだ。
彼も、玄関から帰っていったようだ。気配が遠ざかっていく。
ラベンダーの香りだけが、ふわりと漂う。
「リラックス効果、あるんじゃないのっ!?」
全然、落ち着かないんだけど!?
誰にともなく叫んで、ただただ顔の熱さだけを感じていた。
