12話 特別

今までの中で、一番自分を追い込んだかもしれない。
 体力も気力も底をつきそうだ。
 疲労困憊のまま夜道を歩き、何とか目的の家のドアをノックする。

「こんな時間に何の用だ、薬師」
「ごめーん。今日はいろいろあって、疲れ切っててさー。ちょっと休ませてくれない?」

 彼がドアを開けてくれるのは、予想通り。
 嫌そうな顔をしているのも、予想通り。

「なら、診療所のベッドを使いたまえ」

 断られるのも、予想通り、では無かった。
 もしも断られたとしても強引に押しかけるつもりだったが、バレていたのだろうか。

 家の中に入る。やはりこの場所は、とても落ち着く。
 安堵したからか、一気に眠気が襲ってくる。
 ケープと鞄だけ外して、目に付いた手前のベッドに飛び込んだ。

「待て、そっちは私のベッドだ!」

 なるほど、だからマテオさんの匂いがするのか。
 足が自然と向かっていたのだから、仕方ないよね。

「ここがいい。なんか、安心できるから」
「駄目だ、隣の部屋に行け。そっちに清潔なベッドがある」
「無理、もう起きれない。一時間だけ、眠らせて」

 マテオさんの顔が近い。何か話しかけてる。
 けれども、襲ってくる眠気に耐え切れず、視界が閉じていった。

.

 何か、いい匂いがする。
 覚えのある、好きな香りだ。
 のろのろと目を開けると、なんだかいつもと世界が違う。
 そうか。昨日はマテオさんの家で寝たんだった。

 ふと、枕もとを見ると、ラベンダーが置かれていたことに気づいた。特別に好きな花だ。
 安眠の理由を知って、思わず頬が緩んでしまった。

「マテオさん、おはよーございます」
「おはよう」

 いつもにも増して、むすっとした顔をしている。
 ちょっと寝るだけ、のつもりだった。
 それなのに、朝になるまで起こさないでいてくれたのだ。
 アタシは笑顔で感謝を述べた。

「マテオさん、昨日はどこで寝たんですか?」
「診療所のベッドに決まっているだろう。キミのせいでな」
「患者のベッドの寝心地を点検できた、ってことで良かったじゃないですか」

 笑って見せたが、機嫌は直らないようだ。まあ仕方がない。
 さて、どうしたものか、と思案していると、彼はふいに立ち上がって、何かをテーブルに運んできた。
 どうやら朝食のようだ。リンゴとアロエが添えらえたヨーグルトに、湯気が立ち上る紅茶。食欲をそそる香りだ。

「食べたら帰れ」
「えっ、嬉しい! いただきます!」

 食卓に座って、アタシはご飯を味わう。
 まさかここまでしてくれるとは思わなかった。

「それで、昨日は何があったんだ」
「大したことじゃないですよー。流行り病の患者を全員治療して、市役所の依頼を全部こなして、日課の木材と石材を集めて、ついでに受けれるバイトは全部受けて。最後にお風呂入ろうって思ったら、銭湯についた瞬間に閉店したんですよ? ショックすぎません?」

 思わず早口になってしまった。
 それだけ、昨日は村中を駆けまわった一日だった。

「どれだけ仕事をしているんだ、キミは」
「普段はこんな無茶しないんですけどねー」

 朝食を食べ終わって、アタシは自分の鞄を取り出す。

「どうしても、マテオさんにお礼がしたかったんです」

 鞄から取り出したのは、ラベンダーの花束。
 以前に彼から貰ったものよりも量を倍にして、包装紙も花に似合う色を選んだ。

「そんなに気を遣わなくても良いのだが」

 そう言って、彼は花束に手を伸ばす。
 その動きが、ぴたりと、途中で止まった。

 どうやら、気づいたようだ。
 たくさんの紫の花の中に、きらりと、金色が光る。
 花束の中に隠した、三日月の形をしたブローチ。

 村の伝統の、ムーンブローチ。
 想いを伝いたい相手に、これを贈るのだ。

「マテオさん、大好きです。アタシと、人生を共にして下さい」

 アタシの中にあった、特別な感情。
 どうしても隠したかったけど、隠せなかった。
 ブローチを手に入れるために、たくさん仕事を詰め込んだ。
 手に入ったら、今すぐにでも渡したくなって、こんな状況になってしまった。

 彼の顔だけを、じっと見ていた。
 何かを飲み込むように、押し黙っている。

 彼の伸ばしかけた手が、すっと、引かれていく。

「すまないが、受け取れないよ」