11話 効果

これは、悪夢だ。
 今までに何度も見た光景だ。
 悪夢だと分かっているのに、アタシは目覚めることも出来ない。

 炎が舞う。
 村中が、赤色に染まる。
 空すらも、焼き焦がす。

 どす黒い赤が、全てを壊していく。
 アタシにやさしくしてくれたものを、すべて。

 背後から、声が聞こえる。
 恐ろしい赤が、何かを叫んでいる。
 怒気をはらんだ声で呼ばれる、誰かの名前。
 アタシの、昔の名前だ。

 逃げた。
 力の限り、逃げ続けた。
 赤が、アタシを追い続ける。
 災いが、アタシの首を掴んだ。

 アタシのせいだ。
 アタシさえ、居なければ。

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「っ!」

 ベッドから飛び起きた。
 荒い息をつく。何とか深呼吸しようとしても、肺に上手く入っていかない。

 落ち着け。いつもの悪夢だ。アタシは、平気だ。

 何度も自分に言い聞かせる。
 膝を抱えるように、布団に潜り込む。
 窓の外はまだ、暗闇しかない。

 それでも、あの時の焦げた匂いが、自分にこびりついているような気がしてならなかった。

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 目を開ければ、すっかり日は高く昇っていた。
 患者を告げるブザーが鳴らなかったので、しばらくベッドに寝転がっていた。
 寝不足な時は、まず休んだ方がいい。無理をして動く方が効率が悪いからだ。

「薬師、居ないのか」

 おや、マテオさんの声だ。
 家の作業場に居る様だ。急患が来てもいいように、家の鍵は開けたままにしている。
 アタシはベッドから起き、髪や服だけ軽く整えて、作業場に顔を出した。

「あれー、珍しいですね。こんな朝早くからどうしたんですか?」
「キミの友人に、書類を渡すように、と押し付けられたんだ」

 そう言って、彼は嫌そうに持っていた紙束をアタシに手渡した。医療協会の書類のようだ。
 例え意に添わなくても、律儀に持ってきてくれるのが、なんだか彼らしい。思わずくすくす笑ってしまった。

「久々にこの場所に来たが、前に来た時とは違うな」
「あれ、マテオさん、うちに来た事ありましたっけ?」
「前の薬師が居た時にな。あの時は、雑多な化学物質の匂いがしたが」

 彼は辺りを見回した後、一歩、アタシに近づく。

「ここも、キミからも、ムーンベリーの匂いしかしないな」

 きっと、少しでも村以外の素材を使っていれば、何か文句を言うつもりだったのだろう。
 ただ、彼の思惑とは裏腹に。
 今、アタシにその言葉は、一番効いた。
 夢の中ではない。アタシが居るのは、現実の、この場所なのだ。

「どうした? 寝不足なのか?」

 アタシの顔を見て、彼は訝し気に目を細める。目の下に隈が出ていたのだろう。

「あはは。考え事してたら、寝付けなくなって」
「医者ともあろうものが、自分の健康管理も出来なくてどうする」

 小言を言いながら、彼は持っていた鞄から何かをアタシに差し出した。
 紫の小さな花をつけた、ラベンダーの束だ。香りからして、採ってきたばかりのものだろう。

「研究用に採取したが、キミに譲ろう。香油にでもすれば、リラックス効果や快眠が期待できる」

 薬師として、ラベンダーの効能はよく知っている。自分の薬にも多用しているのだ。

「別に、大丈夫よ。ラベンダーなら、アタシも集めれるし」
「私の分を使ってくれた方が、キミは他のことに時間を使えるだろ? キミの好きな『効率的』な手段だよ」

 思わず、言葉が詰まった。
 頭の中には、いくつも言いたいことが浮かぶのだ。
 『アタシのことをよく分かってますねー』とか。
 『マテオさんも、アタシの色に染まってきましたねー』とか。
 そのどれもが、アタシの口からは出てこない。
 心臓だけが、なぜかバクバクと鼓動が速い。

「あ、あっ、ありがと、う」

 花を受け取りながら、つっかえるように出た言葉は、何とも情けないものだった。

「なっ、何故顔を赤くする!」
「何故って言われても! 貴方も赤いじゃない!」

 反射的に思わず言葉を返してしまう。
 もう限界だ。アタシは花を抱えたまま、自室に飛び込んだ。
 彼も、玄関から帰っていったようだ。気配が遠ざかっていく。

 ラベンダーの香りだけが、ふわりと漂う。

「リラックス効果、あるんじゃないのっ!?」

 全然、落ち着かないんだけど!?
 誰にともなく叫んで、ただただ顔の熱さだけを感じていた。