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この町には、伝統がある。
告白したい相手に、町で一番の贈り物であるムーンブローチを渡す。
だが、世間では指輪を贈ることが一般的だ。
ここに来たばかりの薬師は、知らなかったのだろう。
だから、指輪を贈ってしまったことを、後悔している。
ヘレーヌが教えてくれた情報に、ボクは安堵した。
なんだ、そんなことなのか。
早く、ボクに相談してくれたら良かったのに。
伝えたいことが、たくさんある。
仕事が終わった後、彼の家へ真っ先に向かった。
この扉の先で、きっと彼は困った顔をするだろう、と分かっていても。
今すぐにでも、愛しい人に会いたかった。
「やあ、お邪魔してもいいかな?」
開けっ放しの扉をノックすれば、予想通りの顔で彼は振り返った。
何か言おうとしている。きっとボクを遠ざけるための言い訳だ。
そんな言葉、言わせない。
「待って。ボクから先に言わせて?」
ボクは人差し指を彼の唇に当てて、言葉を押し込めた。
「もしも、キミがボクに言いたいことがあるなら、伝えてほしい。どんな言葉でも、ボクはちゃんと受け止めるよ」
微笑みを見せれば、どうやら彼は落ち着いてくれたようだ。
人差し指を離すと、彼はポツポツと話をし始めた。
内容は、予想通りだった。
間違えて指輪を渡してしまったので、改めてムーンブローチを贈りたい。今は仕事をこなして、ブローチを手に入れるための素材を集めていた、と彼は悲しげな顔で語った。
「そんなこと、気にしなくてもいいよ」
恋人の肩に腕を回して、抱きしめる。
彼は言葉を続ける。きっとシャオは気にしないだろう。でも、この町に受け入れられることが、医療協会に課せられた使命だった。この事が原因で町から追い出されたら。シャオとも変な雰囲気になってしまったら。それが、怖かったのだ、と。
彼の話を、黙って聞いていた。
愛しい恋人は、今にも泣きだしそうな顔で、背中を震わせていた。
落ち着くまで、その背を優しく撫で続けた。
「ボクもね、都から来たんだよ」
そう伝えれば、彼は驚いた顔でボクを見つめた。
もう何十年も前の話だ。今はすっかりこの町に馴染んでいるから、分かりようが無かっただろう。
「だからこの指輪に、キミの大事な気持ちが込められていることは、理解している。たとえキミのお願いでも、これは返せないな」
ボクは箱を取り出して、彼の目の前で指輪を取り出した。
銀色の光は、ボクの左の薬指に、誘われるように吸い込まれていく。
「ピッタリだね。いつの間に、ボクの指のサイズを測ったんだい?」
聞けば、彼は恥ずかしそうに、以前の診察中にコッソリと計ったのだと教えてくれた。
嬉しさと、いたずら心が同時に沸き上がって、思わず笑みが浮かんでしまう。
彼の耳元に、顔を近づけた。
「わるい子だね」
耳元でささやけば、彼の身体が飛び跳ねた。涙目で手をあたふたとさせている。ちょっと驚かせすぎたかな。
抱きしめていた彼の身体を離す。名残惜しそうに、体温が一歩、遠ざかる。
「キミは、この町の伝統を守ろうとしてくれてるんだね。嬉しいよ」
彼の左手を、両手で包み込む。
「でも、キミはもうこの町の一員だ。だったら、この町だって、変化を受け入れてもいいと思うんだ」
恋人の薬指の根元を、指先で撫でた。
「ボクらで、新しい伝統を流行らせてもいい」
ボクの薬指で光る銀色。心臓に近い場所を、彼の心で縛られる。
これも、良い伝統ではないか。
「ねえ、ボクにも、指輪を贈らせてよ」
彼の左手を握りしめる。
恋人は耳まで赤くして、こくりと、小さく頷いてくれた。
あたたかなものが、胸に満ちていた。