銀にふれる【執筆中】

「ステイル、俺を殴ってくれ」

きっと、ステイルは困惑しているはずだ。当然だろう。
俺にいきなりこんなことを言われても、意味が分からないだろう。そもそも第一王子に頼む発言じゃない。分かっていても、頼まずにはいられなかった。

「何かあったのか、アーサー?」

俺は自室のベッドに腰かけたまま、両手で顔を覆って俯いていた。ステイルの顔は当然見えないが、戸惑った表情をしているのは想像に難くない。

「夢を見たんだ、プライド様が出てくる夢だ」
「その夢が、どうした?」

続きを促すステイルの声に、俺は何も答えられずにいた。
窓の外では、朝を告げる鳥の声が軽やかに響いている。
ああ、そういえば。夢の中でも鳥が鳴いていたな。思い出せば思い出すほど、羞恥が腹の底から湧き上がってくる。とにかくこの熱を早く吐き出したくて、顔を上げられないまま口を開いた。

「一緒に、寝床に入っている夢だった」

返事は、無言。
あまりにも沈黙が長く、俺は恐る恐るステイルに視線を向けた。人形のように固まって、唖然とした顔がそこにあった。ステイルとは長年の付き合いだが、こんな表情は初めて見た。

「は? 姉君と? なんで、そんな夢を」
「頼む、殴ってくれ。頭を冷やしたい」

俺は、騎士だ。プライド様は、俺が生涯をかけてでも護り抜くべき人だ。そんな俺がこんな夢を見るなんて、騎士にあるまじき醜態だ。
どうしてこんな夢を見たんだと、俺自身困惑していた。いくら頭を抱えても、原因が分からない。

「待て、そもそもただの夢だろう。実際に起きたわけじゃない」
「でも夢って、自分が知っていることや思っていることしか出ねぇだろ?」

俺に、こんな願望があったのか。
夢の中で、俺は軽々しく彼女の赤い髪や、白い肌に触れて。互いに甘い言葉を交わしあっていた。当然、今までに彼女とそのようなやりとりをした経験など一度も無い。

唯一思い当たるのは、先日通りがかった酒場でのいざこざだ。
酔った男が暴れていて、酒場の女性店員にしつこく言い寄っていた。女性の腕を男が掴んだのを見て、すかさず俺は男を取り押さえた。近くを巡回していた衛兵に男を突き出したが、女性の顔は曇ったままだった。
女性が心底嫌そうに言葉を吐き捨てる。

『全く、男ってみんな狼よね。嫌になっちゃうわ』
『大丈夫ですか? お怪我は?』
『平気よ。ありがとう、騎士さん。今夜はきっと、いい夢が見れるわよ』

そんなやり取りがあったから、こんな夢を見たのだろうか。女性に許可なく、己の欲のまま触れるなど許せるはずもない。どこがいい夢だ。
もしも戒めのために見た夢だったとしたら、今以上にしっかりと騎士道を貫かねば、と胸に刻む。

「なあ、アーサー。その夢のプライドは、笑っていたか?」

そんな決意をした俺に、ステイルが静かに問いかける。
その言葉に、俺は夢の内容を思い返す。

「そりゃあもう、幸せそうだった」

幸福でたまらないと言わんばかりの、眩しい笑顔だった。そんな顔を、間近で見たのだ。
そういえば、夢で見たプライド様はもっと大人びていた。数年後の光景だったのだろうか。まるでこの先の、未来のようだった。
どうして、見たこともないそんな御姿をはっきりと目にしたのか。

「まさか、予知夢じゃないよな?」

あるわけがない、と思いつつも。考えられるのはそれぐらいしかない。
まさか、俺とプライド様が結婚した未来じゃないよな?
思い浮かべて、撃沈する。駄目だ。やっぱり顔が赤くなる。本当にもう、このどうしようもない熱を何とかしてくれ。

「確かに、そうかもしれないな」

対してステイルは、俺から視線を逸らしながら静かに呟いた。本当に、今日はこいつの珍しい表情ばかり見る。

「で、頭は冷えたのか?」
「いや、まだ十分じゃねえけど。そろそろ騎士の仕事に行かねぇと」
「アーサー・ベレスフォード。何をしている」

冷えた声が、唐突に俺達の間に入り込んだ。

風の音が聞こえた。そう感じた時には、ステイルの隣にハリソン副隊長が長い黒髪をなびかせて姿を現した。
その手にあるものを、なぜか俺に向けて。

「何ですか、その手桶は? 水?」
「先程、『頭を冷やしたい』と聞こえた。情けない、気が散っているようなら私がいくらでも手伝ってやる」

ハリソンさんの相貌から覗く紫が、俺を鋭く刺し貫く。
副隊長のことだ、やると決めたら容赦なく、井戸から汲んだばかりの冷えた水をぶちまけただろう。
それをしないのは、部屋が濡れるから、ではない。第一王子のステイルがいるから、だ。王族に水しぶき一つでも浴びせたくないのだろう。そもそも、ハリソンさんに容赦という言葉が存在するはずがない。
俺が宥めようとするより先に、ステイルがハリソンさんに言葉をかけた。

「ハリソン副隊長、落ち着いてください。そしてアーサー、俺から一つ提案があるんだが」
「提案?」
「プライド様と一緒に、避暑地に行かないか?」

ステイルが提案した内容は、思いもよらないものだった。