第一王子ステイルと、摂政ステイル。
7
目を覚ませば、暁の空が広がっていた。
穏やかな青と、夜をまだ引きずるような暗い紫が入り混じる空。このまま待てば、朝が来る。絶望を退けて、自分の望む未来を掴んだ世界が。
これ以上何が起きても驚かないつもりだった。だが、ティアラに別れを告げて、ベッドに入って寝たはずが、気づけば外に居る状況だ。もはや苦笑するしかない。
何もない荒野に、人や馬車が踏み固めたような道らしきものはある。うっすらと白霧がかかってて、見通しは悪い。
三日、という期間は終わったはずだ。このまま、歩いてみればいいのだろうか。夜が完全に明ければ、元の世界に帰れるだろうか。
何もしないのは性に合わない。とりあえず、歩いてみることにした。試しに瞬間移動が出来るか試してみたが、案の定無駄だった。
しばらく歩いていると、コツリ、と足が何かを蹴り飛ばした。
見覚えのあるナイフだ。ティアラが差し出してきたものに似ている。
俺には、不要の武器だ。蹴り飛ばしたナイフは、霧の中に消えていった。
ふと、もうひとりの俺も、ここにいるのだろうかと考えた。
別の人生を歩いた俺。もしも出会ったら、俺はどうするだろうか。
激励か。嫌悪か。やはりただの別人だと思うのか。
何故、こんな時に別の人生を見せられたのかは分からない。
でも、どんな未来があったとしても。俺はこの先も必ず、姉君を護り抜く。
その時、霧の中からぼんやりと何かが浮かび上がってきた。
人影だろうか。違う、人工物だ。
近づいていくと、次第にそれが椅子のようなものだと分かった。
装飾の凝った椅子だ。まるで、王族が使うかのような。
「まさか」
居るのか、そこに。自分の大事な人が。
地を蹴った。全力で駆けた。
風が吹いて、霧が晴れていく。椅子に座る誰かの、赤い髪がちらりとなびいた。
そして。
その傍らに、一人の青年が佇んでいる。
自分と同じ姿をした、誰かが。
「触るな!」
あれが、自分かどうかなんて関係ない。
姉君に手を出すなら、敵だ。
***
赤く染まりたかった。
あの女王の色だと思うと嫌気が差すが、憎悪を抱いてからずっと抱いてきた想いだ。
俺を、母さんの血で染めたように。俺も、女王の血で染まってやる。
そんな呪いのような苦しみの中で、俺を救ってくれた光があった。
ティアラ。俺のぜんぶを許してくれて。癒しを与えてくれた。
そして彼女は、俺を縛っていた女王まで討ち果たした。
でもそれは、俺が果たすべきことだった。
ティアラの手を、血で染めてしまった。
俺が背負うべき罪すら抱えた彼女に。俺は、一生傍に居ることを誓った。
それしか、出来なかった。
そんな時に、俺は別世界に来てしまった。
優しい女王がいるという、平和に満ちた世界だ。
俺と仲が悪いはずの騎士団長が、俺に馴れ馴れしく話しかけてきた。奇妙な気分だった。こんな未来が、本当にあったのかもしれないと思うほど。
「だとしても、あの騎士団長と仲がいい世界なんて、願い下げだな」
何もない荒野を一人歩きながら、鼻で笑ってやった。どこか名残惜しい想いがあるのは、気のせいだ。
どうしてこんな世界があるんだと、何もかもを壊してやりたい気持ちの方が強い。
でも、俺にはティアラがいる。
壊れきった世界でも、俺の居場所だ。
俺が守りたいティアラが、いる世界だ。
せめて。
ティアラに、女王を会わせたかった。
優しい姉と妹の世界があるのだと。教えてやりたかった。
知らないままがいいのかもしれない。出会うことで、傷つくかもしれない。
だが、あの騎士団長が言ったのだ。
例え大事なものを傷つけても、守る覚悟をしたのだと。
だったら、俺は何をしてでも。例え、ティアラに嫌われたとしても。
彼女の癒しになることを、何でもしてやりたい。
そんな時だった。
コツリと、足の下で何か硬いものを踏む感触がした。
靴をどければ、鈍く光るナイフが現れた。
見覚えがある。ティアラが女王の心臓を貫いたナイフだ。血の汚れも、まだそのままだ。
疑問に思いながら、ナイフを拾い上げる。
そして顔を上げれば、そこには。
「女王」
ぽつりと、彼女の名を呼ぶ。
心臓が、ドクリと音を立てる。
いつからそこにあったのかは分からない。
音もなく、玉座が現れていた。
間違いない。この玉座は、あの女王が我が物顔で座っていたものだ。
その玉座で、静かに眠る赤髪の女王。
彼女が、俺の知る極悪非道な女王なのか。俺の知らない慈愛に満ちた王女なのか。
どちらなのかは、分からない。
胸の内に、強い熱が沸き上がる。
気づけば、手の中にあるナイフの柄を、強く握りしめていた。
***
玉座で、『私』が眠っている。
乾いた風が、私を起こそうとするように傍らを通り過ぎるが、『私』は深い眠りに落ちたままだ。
足音がする。ナイフを持った、摂政のステイルが近づいてくる。
表情の抜け落ちた顔だ。そこからは、何の感情も汲み取れない。
女王の死が、摂政の彼がこいねがう事だ。
この『私』が彼の知る女王であれ。彼の知らない王女であれ。
殺したいという願いを、彼は今、叶えることが出来る。
「触るな!」
あと一歩、のところで。
静寂を引き裂く怒号が、彼の足を止めた。
『私』をかばうように、もう一人の彼が飛び出した。
「俺の大事な人に、手を出すな!」
ここまで全速力で疾走してきたのだろう。第一王子のステイルは肩で息をしながら、目の前の同じ姿の自分を、今にも殺さんばかりに睨みつけている。
対する彼は、ナイフを持った手をだらりと下げたままだ。
「初めまして。貴方が、ステイルですか」
「お前も、ステイルだろ」
怒気を発して威嚇しても、摂政は、余裕を見せるように眼鏡の縁に手をかけ位置を直した。
「心配しなくても、別に何もしませんよ」
「ならそのナイフは何だ」
「拾いました」
「捨てろ、今すぐだ」
肩をすくめて、摂政は懐にナイフをしまい込む。
「このナイフは、ティアラの持ち物ですから。俺が預かります」
「捨てろと言っている」
「これは、もう誰にも渡したくない」
話を聞く気はないらしい。第一王子は、飛び掛かって武器を奪う機会をうかがっているが、それだと『私』を守ることが出来ないのだろう。
『私』の盾に徹する。それが彼のこいねがう事だ。
「もう一度言うが、このナイフを使うつもりはない。お前は俺なのに、俺の言葉が信用できないのか?」
「俺だから信用できないんだよ」
「なら理由を教えてやる。俺はフラれたんだよ」
「は?」
盾になった第一王子の、一瞬垣間見せた間の抜けた表情。それがどこか可笑しかったのか、摂政は苦笑した。
「女王を、俺の世界に連れて行こうと思って誘ったんだ」
「おまっ、何を企んでる!?」
「ティアラに会わせたかっただけだ。結局、断られたが」
そして摂政は、ぽつぽつと事の顛末を話し始めた。
『もしも、本当に行けるのならば。もしも、私に救う力があるのなら。貴方の世界も、救いたい』
プライド王女のその言葉に、摂政は上手く事が進んだことを、心の中でほくそ笑んだ。
『でも、一つだけ伝えておきます』
けれども、そこから先の言葉は、予想しないものだった。
『私は、貴方の為に、犠牲になることはできない』
『それは、そうでしょう。別世界のステイルですからね』
『いいえ。たとえ、私の知っているステイルのためでも、私は私を蔑ろにはできない』
どこかで聞いたような言葉だ。騎士団長も似たようなことを言っていたと思い出す。彼女もまた、自分の意思を、しっかりと定めていたのだろう。
『私は、たくさんの人に愛されているから』
その意思を崩せるような策を、摂政は持ち得ていなかった。
摂政の話が終わると、第一王子がどこか嬉しそうに口の端に笑みを浮かべた。
「姉君が、自分のことを優先してくれたのか」
己を蔑ろにしていたプライド王女の変化が、嬉しかったのだろう。
第一王子のその様子に、摂政は静かに息をついた。
「そして俺とティアラに、予知まで授けてくれた」
「予知?」
「『貴方たちに、幸せが訪れます』と。本当に、そんなことを言うプライドが存在するんだな」
そして第一王子は、どうして女王を憎んでいるはずの男が複雑な顔をしているのかを理解した。
慕っている姉が狂い果てて、どうすればいいか分からずに自分が苦しんだように。
この摂政も、残虐な女王の心優しい言葉を聞いてしまって、心を引き裂かれるような感情に見舞われたのだ。
「それでも俺は、この先もきっと、女王を見たら殺したくてたまらなくなる」
どこか理解できる部分も、あると思えた。
それでも、許すことはできない。
大事な人である王女を慕う世界。悪徳女王の居ない、大事な人の居る世界。
別の誰かにとっては幸福で、別の誰かにとっては地獄。
「きっと俺は、お前の全部は理解できない」
「当然だ。これが俺だ。俺の世界だ」
周囲に、光が満ちてきた。朝のやさしい白い光が、あっという間に彼らを包み込む。
そうして彼らの不思議な邂逅が、終わりを告げた。
互いに、何かを認めるような、相手の健闘を祈るような、不思議な微笑みを浮かべていた。