ぼくはガラスのバラになりたい

天使さまと、喧嘩をしてしまった。

「バジルの家族は、どのあたりに住んでいるんだい?」
「うーん、分からないっす」
「バジルを探しているかもしれないよ。会いたくないのかい?」
「戻っても、困ると思うっす。今でも家にあるパンの数は増えていないっす」
「それなら、君が今まで働いた分の給料を多めに出そうか」

この国で一番大きな世界樹の付近に、ぼくたちはしばらく滞在していた。
最近、天使さまがぼくの家族について尋ねることが多くなった。

「ぼく、帰らないっすから」

念のために、はっきりと言っておこう。
キッチンカーの中でお皿を拭きながら、ぼくは隣にいた天使さまに視線をぶつけた。

「ぼくはフェンネルさんのお手伝いがしたいっす。それは、これからも変わらないっす」
「それはとても嬉しいよ。だけどね、僕にはもう、時間が無さそうなんだ」

お皿を拭く手が止まった。心臓を、冷たい手がぎゅっと握りしめた。

「だめっす、だめっすよ、フェンネルさん。もっともっと、元気でいてくれなきゃだめっす」

お皿を割るわけにはいかない。天使さまを困らせてはいけない。
なんとかお皿を棚に片付けたが、それでも、手の震えが収まらない。

「もちろん、簡単に諦めるつもりなんてないよ。彼女と、君が助けてくれた命だからね」

もっとガラスのバラがあればいいんだろうか。
ぼくのそんな考えを読んだかのように、天使さまは片膝をついてぼくに視線を合わせた。

「だからね、僕が動けなくなる前に、君の家族を見つけ出すよ」
「どうしてっすか! ぼくだって、フェンネルさんのそばにずっといるっす!」
「それじゃあ、君は僕と同じだ」

ぼくはぽろぽろ泣き出してしまった。
天使さまが困ったようにハンカチを取り出して、ぼくの頬を拭いてくれるのに、ぼくは何も出来ないでいた。

「僕と同じ苦しみを、背負わせたくないんだ」
「何のことっすか」
「僕もね、母さんが同じ病気だったんだ。でも、どれだけ僕が頑張っても、ちっとも元気にならなかった」
「ぼくじゃ、何もできないって事っすか」

天使さまは、答えない。
困った顔で、微笑むだけ。
それが、答えなのだろう。
ぼくは泣きたくないのに、ますます泣いてしまうばかりだ。

「ぼく、もっといい子になるっす。そうすれば、きっと女神さまが助けてくれるっす」
「残念だけど、無理だよ」
「無理じゃ、ないっす。見えないけれど、いい子にしていれば、奇跡を起こしてくれるっす」
「目に見えないものを、大事にしたって意味がないよ」

どうして、そんな冷たい事を言うんだろう。
きっと、天使さまに元気がないせいだ。病気のせいなんだ。

「じゃあ、どうしてフェンネルさんは、目に見えない思い出を大事にしてるんっすか」

この世界樹のそばに滞在するのは、大事な思い出があるから。

「フェンネルさんはずっと、あの人の話ばかりしてるっす。ここには居ない、あの人のことを」

こんなことを言うのは、『いい子』じゃないって、分かってる。
それなのに、涙と同じで、言葉も止まらない。
溢れてくるかなしみが止まらない。
どうしたらいいのか分からなくて、まるで溺れたように息が苦しい。

もしかして、これが。
天使さまが背負わせたく無い、天使さまと同じ苦しみなのか。

「ごめんね」

天使さまが、ひとこと、ぼくに言葉を与える。
天使さまも、こんなかなしいひとことを、ずっと浴びてきたのだろうか。

「泣いていいよ」

気づけば、天使さまがぼくを抱きしめていた。
今のぼくに出来ることは、泣きやむことなんだろう。
でも、天使さまがそう許してくるものだから。
思うままに、泣き声を上げ続けた。