7.
テシカに行って、まず最初の出来事。
天使さまに、すごくすごく怒られることだった。
「バジル。君は僕がどれだけ心配するのかを、少しでも考えたのかな?」
「う、ごめんなさい」
いったいどれだけ怒られただろうか。
天使さまにすごく不安にさせてしまったことが分かって、申し訳なくなった。
二度とこんなことはしない、と約束してから。ようやくぼくは解放された。
「君も来てくれてありがとう。バジルが迷惑をかけてごめんね」
ぼくを叱り終わってから。ようやく天使さまは彼女に笑顔を向けた。
「気にしないで。それよりも、体調はどうなの?」
「弱っているように見える? 君に会えたから、すごく元気になれたよ」
いつもの二人の光景を見れて、ぼくはとても嬉しくて頬が緩んでしまう。
「実はね、今日はフェンネルがずっと元気になれるものを持ってきたんだ!」
「へえ、君以外に、僕が元気になれるものなんてあるのかな?」
「とにかく、まずは見てほしいんだ! 一緒に外に来てくれる?」
バジルくんも、と彼女に誘われて。ぼくと天使さまはテシカにある大きな湖の前に足を運んだ。
どこを踏んでも、ガラスで出来た地面。
透き通った、綺麗すぎて魚が住めない水。
天使さまの命を長らえさせる空気。
天使さまの命を作った場所。
何もかもが、美しくてつめたい。
「それで、君は一体何をしでかすつもりなんだい?」
「ちょっとフェンネル。私が何か変なことすると思ってない?」
「だって君のことだもの。とんでもないことをやらかすって、信じているよ?」
「むう。何か言い方にトゲを感じる」
二人がそんなやり取りをしていると、ふいに彼女が空に向かって指を指した。
空の向こうから、何かがやってくる。
大きな、赤い鳥だ。
「ほっほっほ、久しぶりじゃのう、フェンネル」
「チューベローズ様? なぜ、こんなところに?」
頭上を旋回しながら、チューベローズと呼ばれた鳥は何か呪文を唱えている。
「話は後じゃ。まずは、この偉大な魔法を目に焼き付けるがよい!」
瞬間。
白い光が、世界を包んだ。
おもわず両手で目を覆う。ちかちか光る視界。
何度も瞬きしているうちに、ようやく目が慣れてきた。
湖が光っている。
違う、湖の周囲を囲むように、何かが虹色の光を放っている。
「これは、ガラスのバラ?」
信じられない。
あんなに探していたものが、急に目の前に現れた。
ぼくはバラを摘みに行くでもなく。天使さまに声をかけるでもなく、ぽかんと口を開けるしかなかった。
「なんじゃ、その反応は。もっと驚かんか!」
「驚いているっすよ。何っすか、これ?」
「世界を変える禁呪じゃ」
チューベローズ様が足元に降りてきて、自慢げに胸を張っている。
「禁呪って、危なくないっすか?」
「ま、元より、ガラスで出来た地なんて自然のものではない。このテシカの土地もまた、魔法の産物かもしれんぞ?」
その声に、不安な色は一切ない。
だったら、喜んでいいのだ。
叫んでいいのだ。
これで天使さまは、もうずっと大丈夫なのだと。
天使さまはどこにいるんだろう。視線を向ければ、湖のほとりで、彼女と二人で向かい合っていった。
「フェンネル。これで、お母さんもきっと助かるよ」
近づこうとしたが、何となく、ためらわれた。
二人の邪魔をしたくない。
「ずっと気になってたんだ。フェンネルのお母さんが、フェンネルにガラスのバラを譲った。その分、お母さんの寿命はどうなったんだろうって」
「だから、テシカ全部を救おうとしたってこと?」
確かに、これだけガラスのバラがあればテシカの民すべてがこの先も健やかに生活できる。
天使さまから驚きの視線を向けられた彼女は、困ったように笑う。
「そんな大げさなもんじゃないよ。私は、フェンネルを助けたかっただけ」
「君は、どうしてここまで、僕にいろんなものを与えてくれるんだい?」
天使さまは、今にも泣きそうな微笑みで、彼女を見つめている。
「僕は、一生をかけても返しきれそうにないよ」
「バジルくんに聞いたんだ。マルシェが終わってお別れしてからも、フェンネルが私のことを想っていてくれてたって」
天使さまが、驚いた様子でぼくに視線を向けた。
ごめんなさい。また後でたくさん怒っていいから。
今は、彼女に向き合ってほしい。
「ずっと悩んでいたんだ。この魔法を使った後は、ウィッチからも睨まれるんじゃないかって」
「まさか、危険なことしてないよね?」
「大丈夫。オニオンさんにもお願いしたんだ。このガラスのバラを管理してくれるようにって」
テシカの為にバラを使うことを条件に、売買の権利はオニオンさんに譲った。
その説明を聞いて、天使さまも安心したようだ。
「ごめんね。本当は、もっと早く会いに行くつもりだったんだけど」
「どうして、謝るのさ」
「フェンネルのことを、ずっと考えていたの。こんなの、私の独りよがりかもって」
二人の間に、沈黙が満ちる。
風が、湖面を揺らして光を散らす。
もっと、風が吹いてほしい。
二人の間にある不安も、悲しみも、何もかもを吹き飛ばしてほしい。
ぼくは今でも、二人のことを願ってばかりだ。
「お互いに、思い出の中にいた相手ばかりを、見ていたのかな」
天使さまが、ぽつりと言葉をこぼす。
言葉を拾い上げた彼女が、くすりと微笑む。
「ねえ。新しい思い出を、作ろうよ。二人で、一緒に」
二人の視線が交じり合う。
ぼくは、なんだか見てはいけないものを見てしまうような気がして。
足音を立てないよう、そっと二人から離れていった。